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  救いようがない すごい 電波



 レオンが中原麻衣のサイン会に出掛けるとダダをこねるので、カレイドステージは未曾有のピンチに陥った。明日は『美味しんぼ』の公演初日だというのに、主役がいなければそら扮する海原雄山が一人で山岡のいないVS山岡料理対決を行わなければならない。別名オナニー。雄山オナニー。衆目に晒されオナニー。
「何とか説得しましょう!」
 そらがテーブルを叩いて立ち上がった。積み将棋が崩れて、一人で遊んでたケンは「何するんやっ」と小声で言った。そらは地獄耳だったので睨んだ。ケンはそれだけでもう血が一ヶ所に集中するというか何というか。
 オーナー・カロスの部屋である。明かり取りの窓からは夕陽の光が通り抜けている。ここ三日で爆発的に伸びたカロスの髪は、天井にさわさわと尖った先端を擦りつけていた。だが床に映る彼のシルエットは三日前の髪の長さを有している。本体はあの影に閉じ込められたに違いない。
 だから今そこにいるカロスはカロスであるが、オーナーではない。彼は座った椅子をキイと回転させ、そら達を振り向いた。顔にはアメーバみたいなエイリアンがべったーと張り付いていた。どっくんどっくん脈打っている。オーナーは死んでいた。


「ぎぃぎゃあああああああああああああああああああああっ!!」
 そらとケンは部屋をまろび出た。後ろを振り返り、閉じかける扉の隙間から、逆光に黒いシルエットとなった脈打つエイリアンの姿を見た。夕陽が閉じる扉の縁に反射してパパパッと明滅する。ケンが「あ、ロゼッタ」と言った。
 ロゼッタは廊下を歩いていた。片手でNOVAうさぎの首を締め付け、片手で『マリア様が見てる』を読んでいる。ロゼッタはそらに気付くと、「そらー!」とうれしそうに笑った。ぎゅうううっ、とNOVAうさぎが顔面の鬱血を訴える。
「どうしたの?」
 ロゼッタがハンドグリップの代わりだと言わんばかりにリズミカルにNOVAうさぎの首を絞めながら、尋ねる。そらは片手で心臓の鼓動を押さえつけながら、オーナーの部屋の扉を指差す。
「オーナーがっ、オーナーがっ」
「死んでるんだっ!!」
 ロゼッタは扉と向かい合い、片手を当てて、そっと内側に向かって押した。
「ほんとだ。顔にもんじゃ焼きついてる」
 ぎゅっぎゅぎゅっぎゅ、NOVAうさぎ。
「そんなことよりそら、公演中止になっちゃうの?」
 そらは首を振った。すっくと立ち上がり、決然と言い放つ。
「ううん、中止にはしない。させないよ。わたし、レオンさんを説得するから」
「そら……」
 何となく二人でケンの方を見ると、ケンの顔面にはエイリアンがべったぁ、と張り付いていた。どっくんどっくんと脈打っている。ロゼッタはそれを電車の壁に貼られている美容整形外科の広告でも見るような目で見ながら、ぽつりと聞いた。
「そういえば、ナカハラマイってだれ?」
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「ちんちんかいーなぁー」
 レオンは共同トイレで用を足している。晩年の老人のように勢いは激しく、擬音にすると「ジョルノジョバァーナッ」で、湯気が焼き肉並にもくもくと立っていた。そこにそらが「レオンさんっ!!」と飛び込んできた。一緒に来たロゼッタは男子トイレ領域ぎりぎりで立ち止まり、陰から覗き込みながら「焼き肉パーティーだ。じゅーじゅー」とつぶやく。片手のNOVAうさぎは、すでに首ちょんぱだった。いっぱい聞けて、いっぱい喋れた。
「涼か」
 レオンは小を止めず、そらの忌み名を呼んだ。
「明日のステージ、出てくださいっ!!」
 腰を上下に振って、チャックをじーっと上げた。靴音を鳴らしてそらへ向く。
「断る」
「どうしてですか!」
「まいたんのサイン会だからだ」
 便器のセンサーがレオンの身体が離れたことを感知し、水を吐き出した。そらは顔を動かしレオンが洗面所に向かうのを見送りながら厳しい声で言う。
「レオンさんがいないと、美味しんぼじゃなくなっちゃうんです。海原雄山一人じゃ、咆哮は木霊するだけなんです。編集長も、『やーまぉかぁー!!』って叫べなくなっちゃったら、きっと、きっと」
 髪を振り乱して首を振る。拳を握り締めて、そらは魂の限り言い放った。
「空しいと思うんです!」
 うつむいて、拳をほどいた。
「……わたし達の一番しちゃいけないことって、お客さんにわたし達が空しい、って思うことを伝えることじゃないでしょうか」
「知ったことか。アチョー」
 レオンは洗った手からそらの顔面に向かって水滴を飛ばした。その隙をついて、駆け足でトイレを出て行く。そして振り向き様に今さら『ゲッツ!』をして、「お前が一人二役で山岡士郎を演ってみろ。それが無理なら明日のステージは諦めることだな。まいたん萌え」
「アックスちんぽぉー!!」
 偶然レオンの進行方向を反対側から歩いていたメイは、すれ違い様にギロチンのようなラリアットをお見舞いした。レオンは「グヴゥエッ」と世にも醜い悲鳴を上げて倒れ、後頭部を通路に強打した。身体がびくんっ、と跳ね返り、がはっ、と終末呼吸を開始。しかる後に絶命した。
 メイは片腕をぐるんぐるん回して首をこきんこきん鳴らしてストレッチを始めて、お腹の虫を鳴かせた。
 レオンの遺体を見下ろす。
 ロゼッタはやおらそらの手を握り締めて、引っ張った。
「そら。行こう。残酷ミンチショーが始まっちゃう」
「う、うん」
 だが直後、どこからともなく飛来したアメーバが遺体のレオンとメイの顔面にかぶりつき、どっくんどっくん脈打ち出した。


「アンナー」
 アンナは食堂で「やーまぉかぁー!!」と編集長の練習をしていた。なぜかホッケーマスクをかぶっている。周りにいる人間は、全員メシ食ってる最中の動作を止めて顔にエイリアンを張り付かせどっくんどっくん脈打たせていた。ということはアンナのホッケーマスクはエイリアン対策であり、この場でアンナだけが無事であるということは、その対策は有効であったということだ。「やーまぉかぁー!!」金切り声は、実質無人の食堂に荒々しく響き渡っていた。
「アンナー」
 聞こえていなかったようなので、そらはもう一度呼び掛けた。すると今度は反応して、アンナはホッケーマスクを縁日のお面屋さんみたいにずり上げた。満面の笑みで、今度はそらに向かって言った。
「やーまぉかぁー!!」
 遺言だった。
 瞬間、アンナの顔面にエイリアンが激突した。べったぁとほっぺたからこめかみまで枝のような触手で覆われ、どっくんどっくんと脈打ち始めた。アンナは倒れ伏す。この間のBGMはさだまさしの『北の国から』でお楽しみください。そらは遺体に駆け寄りホッケーマスクを引っ剥がすと、ロゼッタにかぶせた。ロゼッタはくぐもった声で抗議の声を上げる。「そらもかぶらないと、もんじゃ焼きに襲われちゃうよ!」
「大丈夫! わたしは、運がいいから!」
 ほんだら何かい。わしゃあ運が悪いっちゅーんかい。しゅこーしゅこー。ロゼッタのくぐもった声。
 それにしても大変なことになった。このままだと、
「美味しんぼが公演できない!」
 役者不足で。


 ステージの脇にはオットセイのジョナサンが飼われているプールがある。どういうわけかカレイドステージは現在エイリアンの侵略に遭っている。となれば海獣のジョナサンだって危うい。ジョナサンは美味しんぼで栗田さん役を担っており、今回のステージではとても重要な存在なのだ。だから何があっても守らなければならない。そらとロゼッタは滑って転んで脳味噌ブチ撒ける死に様だけは御免と靴を脱ぎ捨て裸足になってプールサイドを駆ける。水面が夕陽を反射して、中心の波紋を黄金色に輝かせている。そこに、黒々とした影が見えた。弾かれる夕陽に何度も目を射られ、それでも何とか、影を直視する。
 そして遅かったことを悟った。
「!」
 ジョナサンはお腹を上に向けてオレンジ色の水面をぷっかーと浮かんでいた。顔面にエイリアン。どっくんどっくんどっくん。そらとロゼッタは滑って転んでプールに落っこちた。そして水底にて、ジョナサンの貝殻を使ったダイイングメッセージを発見した。
『犯人はエイリアン』
 そらはぼこぉっ、と泡を思い切り吐き出した。


 濡れた足音が廊下に響く。この場にケンがいたならば「そ、そらが濡れてる」とつぶやいた直後トイレに駆け込み、精液くさくなって帰ってきたことだろう。そしてロゼッタに去勢されてしまうのだ。ちなみにこの間ケンはカロスに向かって「エロス!」と吠えたが、あれは実はロゼッタだ。
 すべては思い出だ。素晴らしい思い出だ。
 そらは寮の一室の前で立ち止まると、扉をがんがん叩いた。
「サラさん! 無事ですか!? 無事だったら出てきてください! 返事をしてください! サラさん!」
 扉が開いた。中から思い切り憔悴した様子のサラが出てきた。カラテ着を纏っているのはいつものことだが、金髪が滅茶苦茶に乱れて前衛芸術の様相を呈していた。部屋の中に招き入れられると、そこにはガラスの破片とエイリアンの死体が散乱していた。部屋中に生々しい格闘の跡。
「いきなり部屋にね、飛び込んできたの」
 ものすごく元気がない。そら達はソファに座り、テーブルを挟んだ向かいのソファにサラが「もう働きたくない」とばかりに寝そべっている。
「一匹目はね、あちょーって蹴り落としたわ。二匹目は、こう、手刀。三匹目は……」
 それからサラは全く同じテンションで戦歴を語った。それによると九十九匹のエイリアンが、この部屋に突っ込んできたらしい。ちなみに九十九匹目を倒した技は何かと尋ねると、サラは「クンニリングス」と適当にも程がある解答を口にした。
「……カロスは? 無事?」
「オーナーは……」
「……そう」
 サラは起き上がって、顔を仰向かせた。髪がこぼれるように背中に垂れて、ソファの背もたれと擦れ合う。「あうー」としばらく唸った後、顔を戻してそらの目を真っすぐに見据え、強い笑みを向けた。
「まだ無事な人がいるはずよ。そら、その人達と一緒に逃げなさい」
「でも、美味しんぼが」
「死んだらおしまいよ、そら。大丈夫。死なない限り、あなたの人生はあなたを置いて逃げ出さないわ」
「……はい」
 その時、百匹目のエイリアンが扉を突き破り、部屋に飛び込んできた。エイリアンはそらとロゼッタの間を通り抜け、その向こうのサラの顔面に乾いた爆発音を立てて直撃した。ソファごと倒れるサラ。脈打つエイリアン。
 そらとロゼッタは立ち上がった。そらは涙を流しながら、おじぎをした。
「サラさんっ! 今までお世話になりましたっ!」
 二人は踵を返した。


 寮の部屋を回っていった。惨憺たる状況だった。ほぼ全部屋にガラスの破片が飛び散っており、その側には被害者が仰向けになって倒れていた。もちろん顔には脈打つ物体。
 そらは最後にミアの部屋のドアを開けた。
 薄暗かった。しかし開いたドアの隙間から漏れ入る光が、散乱したガラスの破片を煌めかせ、部屋の内部を鮮明に照らした。
 ミアが電源を落としたパソコンの前で、こちらに背を向け椅子に座ったままうなだれていた。床に砕けてフレームも歪んだ眼鏡が落ちている。きい、と椅子が軋む音がする。カロスの時のように、ゆっくりとミアの身体はこっちを向いた──
 そらは扉を閉めた。隣には、ホッケーマスクをかぶったままのロゼッタが黙って立っている。
 寮の廊下に、風が渡った。


 ついさっきまで活気づいていたはずのカレイドステージが、今は単なるどでかいテントのように見える。時刻は夜になり、辺りも十分暗い。だが照明が灯される気配はなく、入口手前の街灯だけが暗闇に反応して光を瞬かせる。
 そらはロゼッタと手を繋いでいる。二人は再びプールサイドに立ち、水面に映る自分達の姿を見下ろしている。そらは世にも情けない顔。ロゼッタは、ホッケーマスク。そばにはさっき脱ぎ散らかしたままの二人の靴。
 逃げなきゃ。ロゼッタだけでも連れて逃げなきゃ。もう美味しんぼなんて言ってられない。きっともうこのカレイドステージには生き残っている人はいない。そらは何度もそう思い、ロゼッタの手を引き逃げようとする。だが、足が動かなかった。もしまだ生きている人がいたら。そう思うと逃げられない。このカレイドステージを出ることが出来ない。
 だが逃げなければいけない。ロゼッタがいるから。死んだらおしまいだから。決断を下せ。動き出せ。逃げるんだ。わたし達は、逃げるんだ!
 決然とした意志に、ようやく足が動く。ロゼッタを力強い瞳で見据え、握る手に力を込めた。そしてそらは、ロゼッタのマスクが振動していることに気付いた。
 ゆっくりと、握った手から力が抜ける。そらはロゼッタのマスクに指を掛けた。
 慎重に、上へずらした。
 そらは悲鳴を上げた。
 ロゼッタの顔面にエイリアンが張り付き、ドクッドクッ、と今まで見たどのエイリアンよりも元気の良い脈の打ち方を見せていた。
 ロゼッタはそらから手を離し、身を引いた。くぐもった声で「ごめんね」と言う。
「いつから……? いつから……?」
「サラさんの、とこで」
 あの時玄関を破ったのは、二匹居たということになるのか。
 ロゼッタは震える足取りでぺた、ぺた、と後退してゆく。かろうじて呼吸をしているようで、時々息を吸い込む音が聞こえる。だがそれも苦しさの上に成り立っているのは見え見えで、長くは保つまい。ただロゼッタは精神力のみでエイリアンの『侵略』に抗っている。
 どぼん。
 その音に現実に引き戻されたそらは、ロゼッタがプールの中へ没したことに気付いた。
 そらは、揺らぐ暗黒の水底に向かって、ロゼッタの名前を呼び続けた。


 沈みゆくロゼッタに、視界の融通は利かない。エイリアンに邪魔されている。命そのものを吸い取られている感覚がする。ここまで保ったということは、自分は相当長生きする予定だったらしい。
 ロゼッタはそらがいるとおぼしき方向に、水底から手を伸ばした。
「そら」と呼ぶ声は、ただの泡になった。


 十人のインディアンの少年が食事に出かけた
 一人がのどをつまらせて、九人になった

 九人のインディアンの少年がおそくまで起きていた
 一人が寝すごして、八人になった

 八人のインディアンの少年がデヴォンを旅していた
 一人がそこに残って、七人になった

 七人のインディアンの少年が薪を割っていた
 一人が自分を真っ二つに割って、六人になった

 六人のインディアンの少年が蜂の巣をいたずらしていた
 蜂が一人を刺して、五人になった

 五人のインディアンの少年が法律に夢中になった
 一人が大法院に入って、四人になった

 四人のインディアンの少年が海に出かけた
 一人が燻製のにしんにのまれ、三人になった

 三人のインディアンの少年が動物園を歩いていた
 大熊が一人を抱きしめ、二人になった

 二人のインディアンの少年が日向に座った
 一人が陽に焼かれて、一人になった

 一人のインディアンの少年が後に残された
 彼が首をくくり、そして誰もいなくなった



 夜のカレイドステージに、明かりが灯った。
 ライトアップは夜空を飾り付け、入口の橋を奥から順々に、光そのものが軽やかにステップを踏むように灯っていった。
 やや間があって、空気を耳障りな音が裂いた。マイクのハウリングだ。誰かが、何かを発言しようとする息遣いが流れる。
 ためらうような時間が、一、二分ほど続いた。だがマイクのスイッチを入れた主は何らかの決心がついたらしく、控え目な咳払いをする。マイクがもう一度、キィンという音を立てた。
『──苗木野──そらです』
 発生した少女の声は、風にすくい上げられ夜空に届く。それからまたためらうような間があったが、だが今度はその間も十秒と続かなかった。
『生きている人、いますか』
 光が夜空を押し返す世界最高のエンターテイメントを誇るカレイドステージ。
 しかし今そこに、少女の問いに答える者は、いなかった。

「ちくしょう! なんてこった!」
 早朝、ケープメリーのとあるアパートの一室。ポリスは岩かと思うほどに大きな拳を木製のテーブルに叩き付け、卓上の紅茶をびっくりさせた。サングラスの奥の瞳がわなわなと震え、白い歯をぎりぎりと鳴らす。
 キッチンに立ちコーヒーカップに口を付けているケイトは、眉根を詰めて唾を喉の奥に流し込み質問する。
「……それで、カレイドステージの人達は……全滅、だったの?」
 ぎり、と歯の音。
「正確に言やあ、ほぼ全滅、だ」
「ほぼ?」
「ソラと、レイラの嬢ちゃんを保護した」
「レイラ? レイラはカレイドステージを去ったじゃない」
「ああ。昨日はソラに自分のところのステージへの出演交渉に来ていたと言っている。そのおりに今回の事件に巻き込まれた。そう証言している」
「……何か含みのある言い回しね」
 紅茶がポリスの拳の余震に、未だ震えている。
「レイラの嬢ちゃんを、オレは──いや、警察は疑っている」
「疑う、って……。今回のは事故だったんじゃないの?」
「『ディープブルー』と、ソラの『声』だ」
「ディープブルー? 声?」
「ディープブルーは近頃の海洋調査で発見された新たな深海生物だ。一昨年あたりか……新聞にも載ってただろ」
「ああ……」
 ケイトはコーヒーをすすり、思い出した。そしてトップの記事にでかでかと掲載されていた写真の生物と、ポリスの言っていたアメーバの形状に酷似した生物の累々たる死骸をイコールで結ぶ。
「それで、なぜレイラを疑うの?」
「ディープブルーは陸上でも『栄養』の抽出さえ怠らなければ活動が可能で、むしろ陸上の方が身体機能は活発になるらしく、移動手段も『泳ぐ』から身体の伸縮機能を利用した『飛ぶ』に変わるらしい。研究対象として申し分ない生物だったんだろうな。海洋研究所には捕獲されたそいつらが培養された分も合わせて三百匹ほどいた、って話だ」
 ケイトはカップを片手に持ったソーサーに置いた。チン、と食器の触れ合う音が妙に響く。
「それが──ごっそり盗まれた?」
 ポリスはこっくり頷いた。
「勿論そんな簡単にいくわけがねえ。研究所だからな。警備システムも堅牢だ。だが現に盗まれた。水槽から一匹残らず消えていたらしい。内部犯の可能性が高かった。だが証拠は何一つ残っちゃいない。昨日オレ達は、この事件に動かされていた。今日の新聞にカレイドステージの一件と一緒に載るだろうが……」
「……レイラの話がまだ出ていないわ」
「嬢ちゃんの親父さんは、かなりの資産家だ。知ってるだろう。ディープブルーの研究にも、経緯はよく知らねえが投資していたらしい。そして嬢ちゃんは、研究所を頻繁に出入りしていた」
「それだけであなた達はレイラを疑っているというの」
 言葉に刺が混じり始めた。だがポリスは構わず続けた。
「ソラの声だよ」
「え?」
「昨夜の事件の時、周辺にいた住民は全て聞いている。寂しそうな声だったそうだ。それがソラがステージの放送マイクを使った声だってことは、名乗りがなければ誰にもわからなかったらしい。──一方嬢ちゃんはその時、これは本人の証言だが、ステージ裏に隠れてモップを構えてずっと過ごしていたんだと。だが嬢ちゃんの証言には、『ソラの声』はなかった。何度確認しても、なかった。で、警察はディープブルーの盗難事件も合わせて、嬢ちゃんを重要参考人として連行した。──これが昨夜の事件の顛末だ」
「ちょっと待って、それ、強引だと思うんだけど」
「うん?」
「強引よ。三百匹もの生き物をいっぺんに盗み出すこともそうだけど、レイラが犯人だとしたら、そもそも動機は何なのよ? 集まっているのは状況証拠、っていうのも烏滸がましいぐらいめちゃくちゃな情報だけじゃない。それにソラの声が聞こえなかったって言ってるからって何なの? ソラが錯乱していて、屋内への放送をOFFにしていたままだったのかもしれないじゃない。ステージ裏に隠れてた、っていうんなら尚更だわ。彼女の耳には本当に届かなかったのかもしれない」
「ああ。届かなかったんだろうな」
 ポリスはあっさりと返した。
「……どういうこと?」
「カレイドステージの寮だ。ディープブルーは窓か玄関を突き破り、中に居る人間を襲った。そう、見事に中にいる人間だけを──誰も居ない、空き部屋になっている部屋は上手に避けて、な」
「……ステージの内部犯でしか知りようのない情報ってこと? でもこういう可能性だってあるわ。そのディープブルーは本能でエサ──人間のいる場所を察知出来る。だから空き部屋を避けて人を襲うことが出来た。それに、外部の人間があらかじめ中にいる人間について調査したっていう可能性もあるわ。……ああ、それでなぜレイラの耳にソラの声が届かなかったって言えるの?」
「地下かどこかに避難し、ディープブルーが『仕事』を終えるのを待っていたんだと思っている。じゃないと自分に被害が及ぶ可能性があったはずだからな。屋内放送をOFFにしていたかどうかは下っ端の俺にゃあわからんが、多分君の思ったとおり、そうだったんだろう。ソラのあの様子を見りゃあ……」
「滅茶苦茶よ、ジェリー」
 ケイトは難しい顔で首を振った。
「あなたの──ううん、警察のその見解で言えば、ソラだって容疑者のはずよ。その無茶な理屈を当てはめるんなら、彼女にだって犯行は可能よ。──ジェリー、もしかしてあのコだけは特別だ、絶対こんなことはしない。そう思っているの? もしそうなら、あんまりよ。レイラが可愛そうすぎる……」
「ソラはな──」
 ポリスは溜め息をつくようにその名を口にした。もうすでに冷めてしまった紅茶のカップに視線を落としながら、悲しそうに言う。
「壊れちまった」


 その時そらは、病院のベッドの上から側の窓に身を乗り出していた。そこを回診にやってきた医師と看護師に取り押さえられた。そらは窓の外に手を伸ばし、必死に叫ぶ。
「ロゼッタぁ! ロゼッタぁ!!」


「ソラ……」
 ケイトはカップをキッチンの流しに置いた。中身はまだ半分以上残っているが、もう飲めない。
「わかってるさケイト、俺達は滅茶苦茶で残酷なことをしている。でもな……。でもよお……」
 ポリスはサングラスの下から涙を流した。大きな手で押し上げ、両目を覆う。天井を仰いだ。鼻水をすする。
「俺だってレイラの嬢ちゃんを疑いたくなんかねえ。嬢ちゃんは、俺と同じだ。ソラにカレイドスターの夢を託した。でもな、そんなソラが壊れちまった。カレイドステージにも誰もいなくなっちまった。そんな、そんな中で、俺に出来ることはさぁ……」
 ケイトはポリスの肩から胸に腕を回し、抱きしめた。その盛り上がった肩に顎を載せ、頬を寄せる。
「もういいわ……、ジェリー。……ごめんなさい」
 その時、アパートの窓が割れて、二匹のディープブルーが飛び込んできた。
 一匹はポリスの顔面に張り付き、もう一匹はケイトの顔面に張り付いた。二匹が飛び込んだ勢いは、二人を背後の壁に叩き付けた。
 部屋が、静かになった。
 二人の顔の上で脈打つディープブルーに、朝の光が射し込んでいる。割れた窓の向こうには青空があり、ケープメリーの上空を何十匹ものディープブルーが飛来する姿があった。

 私は事件の首謀者である。
 この文書が公開される頃には、私はこの世に存在しないであろうが、後悔の類は一切ない。何しろ私は人類史上に残るであろう芸術的犯罪を編み出し、達成すると同時に、世界で最もヒロインを輝かせる事の出来るシナリオを書き上げたのだから。
 だがこれは完全なるシナリオとは言えない。それもそうである。私は至る所に、意図的な『欠点』を残した。ミステリーを書く上で最も重要であろう(と少なくとも私は思っている)プロット作りの細部調整を、私は放棄している。これはいつも私が行き当たりばったりでシナリオを書くことも理由としてあるが、下手に完璧なものを私は作りたくなかった。そうでなければ、警察は事件の細部を踏み潰し状況証拠と自白強要にて彼女を逮捕してしまう事だろう。それはいただけない。だが、また下手に不完全なものを作るわけにも当然ながらいけなかった。ならばどうするべきか……。ここで貴君等の協力が必要というわけである。──ああ、一応断っておこう。私には何も貴君ら警察の力を甘く見、尚かつ蔑むような意志は全く無い。それどころか、私は貴君等を心から信頼している。私の作り出したシナリオを最高に盛り上げてくれる、主役級の脇役として……。
 そうだな、一応今回の事件、その補足をここに書き記しておこう。調査、または推理の参考にしたまえ。
 まず、ディープブルーの件だ。これにはさぞかし今頃貴君等は頭を悩ませていることだろう。これについては少々反則的な事実があるから、いいだろう、この謎についてだけは解答を与えてあげよう。
 私の趣味の一つに、インターネットがある。そしてそのインターネットで出会ったサイトが今回の私の輪郭でしかなかった構想を完成にまで導いた。断っておくが、サイトの所在を教える義務まではない。自分達で探すなり何なりしたまえ。ただ通常の手段では絶対に見つからないとは言っておく。
 私は『請負人』に出会った。出会った、とは言っても、私は最後まで彼(あるいは彼女かもしれないが)と直接会うことはなかったが。請負人のサイトには、どんな依頼でもこなす、とあった。その料金は一律で手頃なものだった。勿論、当初は私も相手にしなかった。だが、こんな『深い』場所にサイトを構えていることが気になって、私は試しに──いや、戯れに、と言った方が正確であろう。私は請負人に『研究所からディープブルーを全て盗み出せ』と当時にはすでにシナリオの根幹部分に関わるアイデアとして保留しておいたそれを申し出た。その後、請負人から返事が来、二三の交渉をした後に、本当にごっそりと研究所からディープブルーを盗み出してしまった。それも交渉後一日でだ。今もってどういった手段でそれを実行したのか、私にはわからない。
 私はこの時に、シナリオを完成させた。請負人に更なる依頼を追加した。──さて、以上の話を信じるかどうかは貴君等の判断次第として、では『信じた』貴君等に問題だ。さて私は請負人に、どのような依頼を追加したか? 想像力も、大した思考力も必要ないだろう。パッと思い浮かんだ答え。それが正解だ。
 そうそう、貴君等はレイラ・ハミルトンを容疑者として扱っているかね? もしそうなら、正解だ。彼女は立派な犯罪者である。彼女がこの『計画』に乗ることは私にとっても半信半疑だったが、彼女は乗った。彼女なりに、私と同様、彼女に対して思うところが色々とあったのだろう。彼女は色々と、貴君等に私の教えた通りの嘘を付くことだろう。
 だがここには彼女を犯罪者であることを証拠づけることは一切書かない。それを見つけ出すのは貴君等の仕事であり、役目である。ちなみに彼女に全容を問い質しても無駄である。私は彼女が起こすべき行動をレクチャーしたのみで、細かい部分は全く教えていない。
 そして同様に、私は私の犯罪の全てを記しはしない。私の犯罪は最も露呈させるのは難しく、おそらくいかなる名探偵でもこの事件の枝葉末節全てを覆すことは不可能であろう。
 私は事件の完全解決を望まない。この文書は、私が達成させた芸術的犯罪を貴君等に報告すべく書いたものだが、また事件を誰の記憶にも焼き付けるべく長引かせるために書いたものでもある。
 懸命な人間ならば、あるいはカレイドステージをよく知る者なら、私とレイラ・ハミルトンが何を目的として今回の事件を引き起こしたのかは、もう予測はついているだろう。
 私は彼女を最高に輝かせるシナリオを作るため。
 レイラ・ハミルトンは彼女を真のカレイドスターにするため。
 私達は、彼女を生涯舞台で輝かせるため、事件を引き起こした。
 警察、裁判官、民衆の目。そのどれもが彼女を一生舞台に引きずり上げてくれる。私は安心して死ねる。神の御許にて彼女のステージをずっと見続けられる。私の書き上げた、最高のシナリオの上で舞い踊る、彼女の姿を。
 私の名前は──あえて伏せておこう。けど懸命な警察諸君。この文書を読んでいるということは、パソコンがある部屋で、もう私の遺体とは対面しているはずだね? ならば尚更、わざわざ言うまでもないことだ。
 最後に。
 巻き込んでゴメン。アンナ。 


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